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初めての海外旅行は親子でパリ行き

10代で欧米にあこがれて大学でフランス文学を専攻したものの、年を経るほど関心は薄れていって、海外旅行は私のやりたいことの2の次3の次になっていました。それでも、退職したら妻と二人で行こうとなんとなく夢を描いていました。いよいよ退職していざ行こうという気になるとコロナの世となり、コロナが終わると今度は妻が「海外には行きたくない」と言い出したのです。

今年の連休に子どもや孫たちが集まったとき、妻が「孫と行ったら?」と提案。それで進めていくと今度は孫たちは就活やらで都合がつかなくなりました。結局、二人の息子と3人で行くこととなったわけです。

仕事を持つ息子たちに旅行の時期設定を任せたところ、9月上旬の1週間と決まりました。それからは、私が旅行会社の選定を決め、細かい日取りやホテルの選定は長男と相談しながら決めていきました。

以上の旅行前のことをさらに詳しく書きたいことが多々ありますが、本稿では私が忘れないうちに、経験したことを時系列で以下に簡単に記すことにします。

パリへの旅で北半球を一周

1.羽田に前泊

私がフランス語を使う体験とフランス料理の機内食を望んだということと、長男の「乗り継ぎなし・直行便」という条件から、エールフランスのパリ直行便を選ぶと羽田発朝8時50分発の便となりました。

出発の2時間前にはエールフランスにチェックインしなければならないということなので、栃木の私と福島の長男は前泊でないときついということになり、結局3人とも空港近くのホテルに泊まることになりました。彼らは出張でよく利用するということで、ホテルには割引が効き格安で泊まれました。また、前夜は期せずして初の親子での居酒屋ということになりました。

2.羽田空港と搭乗手続き

9月8日月曜日、午前6時に東横イン羽田第一のロビーに降りておにぎりの朝食をいただき、6時15分ロビーの目の前からホテルのバスに乗って羽田空港第3ターミナルに着く。6時半ころエールフランスで搭乗手続き。専用の機器の使い方を日本人の職員がサポートしています。旅行会社サイトからダウンロードしてプリントした紙のチケットとエールフランスのアプリに表示されているQRコードとパスポートを手にもって手続きを進めていきましたが、やはり夫婦や独りでの旅だったらおろおろしてしまったでしょう。搭乗手続きでは、慣れた息子たちに同行してもらって本当に良かったと思います。

機内では喉が渇くと思い、通常よりも小さい水を買ってバッグに入れておきましたが100mL以下でないと持ち込めないというので、あわてて少し飲んだ後まだ残っていた飲み物を容器とともに廃棄しました。そして、そのあと金属探知で引っかかって女性の職員に体を触られてしまいました。ベルトのバックル部分と分かっていれば初めから言ってくれよと思いながら無事通過して、飛行機が待つターミナルの最先端へと歩きました。

3.羽田発AF187便 北極回りフライト

時間が来て飛行機に乗り込みました。乗務員たちの笑顔に安心し、Bonjour!を連発しながら、3人横並びの予約席に。次男が窓際、私が通路側の席に座りました。

思っていたよりも座席が窮屈でした。目の前のテレビ画面と外を見ながら飛び立ってから1時間半ほど過ぎ、北太平洋をベーリング海を目指しているころでしょうか、早くも食事タイムです。

食事の内容は、期待していたよりも良いものでした。何といっても白昼からのシャンパンでのランチ(ブランチ?)は満足のいくものでした。旅行会社の前宣伝では「シャンパン飲み放題」と聞いていたので、どう自制しようかと心配していましたがお代わりが1回あったあとのサービスはありませんでした。(後で知ったことによれば、本当に欲しい人は乗務員たちがいるところまで足を運んでいたようです。)

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北極を通過するころ、1万2千メートルの眼下に真っ白に輝くグリーンランドと思われる大きな陸地と北極海が美しく見えました。ここで、1句:

 北極や我が家は遠き秋の暮

2回目の食事サービスは、着陸の1時間半前くらいでした。日本時間で10時半ころの1回目だったから、2回目は8時間後くらいかなと思っていたが、12時間後位ということになります。到着が現地時間の夕刻4時半なので、現地での3時のおやつ扱いという配慮でしょうか。その12時間の間、ひたすらビデオを観ていたように思います。フランス語の勉強を兼ねて、字幕入りのフランス映画やお笑いショーを見ていました。そんなことこれまでしたことがなかったので、心地よい勉強法であることを知りました。

13,4時間の飛行時間の末ようやく着陸です。 

 天を降り着陸の先パリの秋

4.CDG空港と9月8日夕刻のパリ

ほぼ定刻通りにシャルル・ド・ゴール空港に着陸しました。しかし、入国審査には長い列ができていました。いつもこうなのか、ストライキの計画があるから警戒しているのかは分かりませんが、まあ仕方ないと覚悟して待っていると、係官が我々のほうを見て「Japanese!」と手招きしました。日本人のために別のゲートを開けてくれたのでした。

無事入国すると、やはり羽田のように空港を出るまでには遠い感じでしたが、その分無料のトラムが出口まで運んでくれました。事前に学んだように、同じ階の青いTaxiマークをに従って進んで、がらがらのタクシー乗り場に着きました。ほとんどの観光客はバスでパリ市内に向かうようです。

すぐに我らが乗る車に案内されました。ブスっとした黒人の運転手で、心の準備ができていなかったので下手な片言フランス語で行先やカード決済のことなどをやりとりすると、すぐに発車です。しばらくして、音が鳴ったのでシートベルトをしました。運転手が何も言わないので3人ともシートベルをはしないでいたのです。音が鳴ってからも何も言いませんでしたが。

車が右側を走行する経験が初めてなので快適なドライブとは言えません。予想外に早く高速を降りてパリ市外に入りました。するとそこは、ゴミくずだらけで不潔でごみごみした街並みが続き、車も自転車も歩行者も混とんとした通行をしているように見えました。冷や冷やしながらそうした街並みが過ぎると、少しこぎれいな地区に入り車は止まりました。通行止めの看板が下がっている車除けの少し先が目指すホテルだったのです。ホテルの外の道路には雑踏がないという安心感がありました。

4つ星とは言え、小さなホテルなので玄関のドアを開けるとすぐ目の前がフロントになっていて、スタッフも一人か二人という様子でした。名前を言いパスポートを確認すると、旅行会社サイトからダウンロードした確認書を見もしませんでした。先払いの宿泊税の請求書を見せられて、まだユーロの金額に慣れていなかったこともあり、私は想定外の高額に感じたので一瞬再確認の態度をとると丁寧に説明しはじめ、私も冷静になると76ユーロ(約1万3千円)という金額にも納得しました。3人で3泊だから仕方ないかと。

部屋で落ち着いた後、やはり寝る前にアルコールが欲しいとなりました。降りてフロントに「近くでビールが買えるところはないか?」聞くと、これまた親切に「案内するからついて来い」と外に出て、曲がり角まで20mほど道案内してくれました。

しかしビールを飲みシャワーを浴びたら、リラックスするどころか逆に体が火照って(エアコンの設定も悪かったか)翌朝までほとんど眠れませんでした。

5.9月9日パリ観光バス周遊とメトロ初体験

TootBusでパリ観光

パリには、いくつかの観光バスがありますが、事前にTootBusを予約しておきました。初め、2日目の9月10日に予約を入れましたが、この日にストライキが予定されていることを知り、直前に変更しました。会社は、「ストライキで一部コース変更があるかもしれませんが、10日でも運行しますよ」と言っていましたが、やはり変更しておきました。

当日朝一番の便に乗ろうと早めに始発停留所に向かいましたが、探すのに時間がかかってしまいました。始発時刻の9時を過ぎてしまいましたが、やはり「フランス時間」でしょうか、ちょうどバスは着いたところでした。9時というのは出発時間ではなく、9時から乗り始めるということだったようです。ということで、めでたく屋根なしバスの2階に乗り込むことができました。

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予約変更が幸いしたか、この日のパリは上々の秋晴れです。翌日の影響を考えてか、いつものことか分かりませんが、それでもパリ中心部は混雑しているように思いました。事実、ルーブルに向かうルートは地図に書いてあるルートと違って大きく迂回していきました。しかし、混雑のおかげでなのか元々なのか分かりませんが、バスがゆっくり動いているおかげでパリの主要な観光スポットを下車することなく観ることができました。本当は、下車してゆっくり見学する計画も立てていましたが、翌日最悪交通機関が動かないことを想定して、この日に回れるだけ回ったという感じでした。

エッフェル塔で下車してセーヌ河畔を歩く

TootBusの最もシンプルなコースはブルーラインと言い、10の停留所を巡るコースで1日何度でも乗り降りできます。概略言いますと、プランタン・ギャルリラファイエットという有名デパート横を始発停留所とし、ルーブル美術館→セーヌ川を渡って左岸のノートルダム寺院→カルチエラタンを通ってオルセー美術館→再び右岸に戻ってコンコルド→シャンゼリゼ→左岸に戻ってエッフェル塔→終点アンヴァリッド、となっていました。

我々は、ゆっくりのバス旅だったのでエッフェル塔までは下車しませんでした。エッフェル塔は、上には上らず周囲を歩いた後トイレとランチということにしました。事前に調べていたとおり街頭にあるトイレは、列ができてる有料でさえ見た目不潔な感じでした。ふと道路の向こうを見ると、日本語で「日本文化会館」と壁に書いてあるビルがありました。そこに行けば間違いないだろうということで入館しました。入ると、入館料は取らないものの荷物チェックを通過しなければなりませんでした。展示の日本文化作品を見ながら奥のトイレに行きました。正解です。見慣れたTOTOの清潔な便器を利用することができました。名称からすると、日本人が案内しているかと思いきや、奥の売店の見えないところでかろうじて日本語が聞こえた程度でした。

日本文化会館を出て、向かいの店で大きなホットドックを1本買いました。7ユーロ近く(約1100円)もしましたが、3人で1本だから安いといえるかもしれません。セーヌ河畔には、多くのサラリーマンの男女が芝生に入って輪になってランチを食べていました。まるで、日本のお花見のようです。私たちは、ベンチに腰掛けてドッグを3つに分けて食べました。

その後、長男が見てみたいと言っていた自由の女神のある方向にセーヌ河畔を歩いていきました。後で調べて知ったことですが、この「自由の女神」は1876年にフランス政府がアメリカ独立記念100周年のお祝いに送ったニューヨークの自由の女神に対してのアメリカからのお返しとしての像ということです。そのせいか、観光資源としては価値が落ちるということなのか、エッフェル塔を離れてこちらに向かう観光客は我々のほかにはめったに見かけませんでした。その代わり、(昼休みに)河畔を走る多くのランナーとすれ違ったり抜かされたりしました。女神像のある所は川の洲のようなところにあるので、現地まで行くのはあきらめて左岸から最も近いところから記念撮影をしました。女神像の周囲の景色が写真映えしないのも観光客に人気がない一因かもしれません。私の印象も、女神像よりも生身のパリジェンヌの走る姿のほうが濃く刻まれています。

 秋の河畔自由の女神ジョギングす

再びエッフェル塔の停留所からTootBusバスに乗って次の終点から歩いてシャンゼリゼに戻り、散策と買い物をしようということになって、バスに乗り込みました。しかし、3人とも疲れていたせいかスマホに気を取られているすきにストップボタンを押し忘れたことに気づきました。どうしたものかと呆然としていると、なんとバスは川を渡って行くではありませんか。終点の次は始発停留所だったのです。すなわち、周回していたということになります。時間があればもう一度回ってもよかったのですが、疲れもありそのままオペラ地区で降りて、お土産を買いに行きました。1件目は俳優の杏さんがYouTubeで紹介していたBretano’s、2件目はMonoprixオペラ店。また、さすがに3人で分けたホットドックでは足りなかったか次男がパリのマックに挑戦しました。フランス語の機械注文でなんとか注文した後待っているところに私も見に行ってみると、しばらくして店員が何か言って息子に目配せしたので受け取ることができました。

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メトロでバスティーユへ

「今日はあとはもう夕食だけ」という気持ちでホテルに帰って、明日はどうしようという話をしました。長男が、「平日でも蚤の市をやっている場合があるらしい」ということになり、7時に予約してあるレストランに行く前に行くことにしました。

ホテル近くのメトロ駅に着くと、事前に予習しておいた券売機でチケットを買ったのは良いが想定していたICカード(navigo)と違うものが出てきました。しかたなく、窓口で買い求めることになってしまいました。最初から窓口を利用すればよかったと素直に反省しました。

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パリのメトロはスリなどもいて治安が悪いと聞いていましたが、この駅はきれいだったし怪しげな人は見かけませんでした。それでも、緊張して車両に乗り込み、中に入って空席があることが分かっても座らないでいました。すると、先に着席した黒人の美女が大きな瞳で私のほうに目を向け、無言で「そこに座ったら?」と目配せしました。私が座らなかったわけは、下車する駅を見逃したくないという気持ちもあったからなのですが、このパリジェンヌの善意を素直に受け取って着席しました。

それでも、やはり心配で落ち着かずしばらくすると立ち上がって息子たちが立っている出入り口付近に戻りました。やがて目的の駅に着くと、停車ボタンを押すと電車が完全に止まらないうちに開いてしまうドアを降りました。

バスティーユにて

お目当ての蚤の市広場は、バスティーユの隣駅にあります。駅を出ると、そこはまるで違ったパリの町というたたずまいでした。観光客はほとんど見当たらず、夕刻のせいか保育園や学校を終えた子どもたちや親の姿を多く見かけました。広場にはやはりなにもやっていませんでした。広場や公園は仕事や学校を終えた人たちがくつろいでいる様子が見られました。

隣駅まで歩き、駅前のバスティーユ広場に行きました。さすがにここは、観光客らしき人が多くなります。広場では、明日のストライキ行動を応援するかのように数人のグループがビートルズの歌などを歌っていました。土産物屋に1件寄った後、ビクトルユーゴーの生家を見ました。7時までにはまだたっぷり時間があるので、ゆっくり歩いていくことにしました。

レストラン La Fresqueでディナー

7時直前のテラス席には誰もいないので予約は必要なかったかと思いつつ、7時ジャストに店頭にいた人に予約してある旨伝えたら、笑顔で迎えてくれたので少しほっとする。そのときの冗談がいまだによくわからない。英語だったかフランス語だったか隣にいた若者を指して「こちらが社長でミスターフレスクです。」と言ったのです。もしかすると、冗談ではなく本当のことかもしれないが、飲食店は人で決まると思っているから、ほっとしたことは間違いない。

この店は、私がフォローしているフランス人女性がYouTubeでお勧めしていたので予約しました。しかし、私の印象ではレストランというよりビストロという印象だったので、メニュを見てすこしうろたえました。柱に表示されているメニューも同じです。フランス料理のレストランでは当たり前なのだろうが、メニューには、前菜と主菜とデザートを選ぶのが大前提なのです。仕方なくしばらくメニューのフランス語を見ていましたが、お目当てのウサギ料理が見当たらないので、その点聞くとないと言う。適当に、それぞれ3つずつ適当に注文しました。疲れていて何を注文したかもよく覚えていませんが、次男がメニューを撮影して生成AIで翻訳してくれたおかげで大体わかりました。

まず、本日のおすすめワインです。これが私の好みにぴったりで、しかも今迄に出会ったことのない赤ワインの味でした。もうこれだけで舞い上がって、この店に来てよかった・今回の旅は成功だったと思いました。

次に前菜。前菜というと名前の通りサラダに毛が生えた程度と思っていた無知を思い知らされました。まるで主菜といってよいボリュームです。中でも、牛肉料理のこれまでに味わったことのない味付けとイチジクとチーズのマリアージュに感動しました。

すっかり気分を良くして、ワインを1本開けてしまったのでビールも注文しました。それからさらに主菜ですから、すっかり満腹となってしまいました。ここで、会計を頼んだのですが、「まだデザートがあるが・・。」と言う。私は、デザートに何を頼んだか覚えていなかったが、すかさず次男が「デザートは頼んでない。」と言い切ると、諒解してくれました。ここでも、良心的な店と思いました。店を出る時には、満席になっているのに気づき、やはり人気の店なんだなと思いました。

疲れていたのでタクシーで帰りたかったが、店周辺に車が入り込めるようなところがないことが分かっていたし、歩いても2,30分ということも分かっていたので、歩いて帰ることにしました。延々と、同じような風景が続いていました。道路には走る車などなく、右側も左側も延々とテラスが続いています。翌日のストライキ騒動など全く関係ない信じられないほどの平和な風景と思いました。

 延々とテラスの平和秋の宵

ホテルに帰ると、前日眠れなかった分爆睡しました。

 秋の夜のカルチャーショック爆睡す

6.9月10日 ルーブル美術館とゼネストのパリ

ホテルからルーブル美術館までは歩いても20分程度ということでしたが、前日慣れたこともあり近くの駅からメトロで向かいました。どうやらメトロはストライキの影響がないようでスムーズに到着しました。もう開館時刻の9時は過ぎているのに入館待ちの長蛇の列ができています。やはり予約しておいてよかったと思いながら、入口の案内係に「10時の予約だが・・」と訊くと、なんか変です。英語で「We apologize・・」と言っています。開館時刻が過ぎているのにまだ開館できないので謝りますということのようでした。

「開館しない」とは言ってないので、少し経てば開館するだろうと思って並んでいる9時とか9時半の予約の人たちの長蛇の列だったようです。この列も開館すればすぐ解消するだろうから、10時予約の列に並ぼうと列の初めのところに行ってみたが、列は数百メートルにもなるかと思うくらいで9時も10時もないという状況であることが分かりました。仕方なく、1時間半くらい美術館の外を見学するなどして過ごした後、時間がもったいないのでもうあきらめて他に行こうということになり、私のもう一つの計画地であるモンマルトルにメトロで向かいました。

モンマルトルにて

モンマルトルの頂上・サクレクール寺院にケーブルカーで登ってパリ市内を見下ろしてきました。寺院前では、聖歌隊が合唱かと思わせるような数十人の若者の男女の声が響いていました。しかし、残念ながら合唱と思われた声はどうもストライキを訴えるシュプレヒコールだったようです。

モンマルトル界隈は、サクレクールまでの往復だけだったので他を知らないせいか想像していたような芸術家が集まるようなところでではなく、観光地そのもので、しかもきれいな街とはいいがたい感じでした。

再びメトロでルーブル美術館に戻ると、長い列は消えていました。正午頃になっていましたので、果たして10時のチケットが通用するか心配でしたが、無時通過・入館できました。

やはりルーブル美術館に来てよかった

入館するとまずトイレと食事。トイレは問題なし。食事は、ビールを飲みながらサンドイッチを食べました。

広大な美術館だけあって、あれだけの長蛇の列があったことも忘れるくらい混雑を感じませんでした。開館したものの一部は見られない作品もあるということでしたが、十分に満足できる内容でした。確かにすべての作品を見ようと思えば、一日中いても時間が足りないでしょうから事前に調べておいた最短コースを歩きました。とはいえ2時間以上を要したように思います。以下、かいつまんで私の印象に残っていることを伝えたいと思います。

ルーブルには「手を触れないでください」が見当たらない

多くの作品がむき出しで展示されています。なので、彫像などは汚れから長年どこを触られてきたかが分かるのが面白かったです。また、そうした彫像のわきでは美学生と思われる若者が思い思いにデッサンをしていました。手を触れてもらっては困る宝石や作品は当然ガラスケースに入っています。モナリザのような遥か遠くからしか見られない作品などは例外でしょう。モナリザでは、柵が張られている上、監視員が複数いて、フラッシュを光らせただけで注意されていた観光客もいました。

ルーブル美術館の建物は王宮だったわけですから、内部の天井などの装飾自体も壮大な芸術です。それは、凱旋門を見た時も感じたことですが、息子に言わせれば日本の東照宮陽明門の素晴らしさとは別次元の壮麗さだと思いました。付き合いで私に同行した息子たちが、ルーブル美術館で感動の時間を味わうことができてよかったと思います。前日は1万歩以上、この日は3万歩以上の歩数を歩いたことをホテルについてから知りました。2日間でパリ観光するためとは言え、やはり量より質と言える観光がルーブル美術館だったといえます。

教科書に出てくるような有名な絵画作品も現物を見れば見ごたえがありましたが、最も印象に残ったのはやはり彫像になります。それは、写真では通常前面からのものしか見られないからです。サモトラケのニケが船の上に立っていることも知りませんでしたし、ミロのヴィーナスの後ろ姿や横からの胸のふくらみも知りませんでした。

 ルーブルの作品を観る頬に秋

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メトロに乗りオペラ地区の駅を降りて大通りを歩いていると、レンタサイクルの自転車が倒れていました。変な倒れ方だなとみていると、もう一台を倒れている自転車の横にわざと倒している若者がいました。何だ?と思って見ると、その向こうのほうで騒ぎが聞こえます。そして、大通りの両側のビルのバルコニーや窓では大勢の人がそちらのほうを見物しています。パトカーも走ってきます。野次馬か当事者か知りませんが若者のグループが興奮した面持ちで何やらしゃべりながら騒ぎのほうに急いでいます。そうです、今頃思い出しました。この日は、ゼネストの行動「すべてを封鎖せよ」が呼びかけられている日でした。近づかないほうがよいという情報に従い、デモ隊の方とは逆方向へホテルのある方へ足早に歩きました。

ホテルのフロントに教えてもらったビストロ

ホテルに戻り少し休んでから、再びお土産を買いにモノプリに出かけました。お目当てのお土産を買うことができました。

ホテルに戻り夕食の相談をしました。私は昨日と同様もう一軒行きたいと思っている店がありました。ホテルから10数分歩いたところですが、長男はそこは北駅の近くでパリで最も治安が悪い地区ではないかと疑問を投げかけました。外の雲行きも怪しくなって疲れもあったので、同意して諦めました。下に降りてフロントに「近くでお勧めのビストロはあるか?」と尋ねました。しばし考えた後、歩いて数分のところにあるビストロを教えてくれました。あとで、なぜその店を勧めたかが分かりました。リーズナブルということです。そりゃ前日から我々を見ていれば分かりますよね。

店の名前は覚えにくく、今残っているレシートを見て思い出したのは、やはり変わった名前「Bouillon Chartie」でした。検索するとフランスでは有名なようです。また、私はbouillonは「出し汁」という意味でしか知らなかったのですが、調べると「大衆食堂」という意味があるんですね。外観が大変よく、表通りから20mくらい引っ込んだところに入口が見えました。伝統的な建物で「いいところを紹介してもらった!」と思いました。中も素晴らしく、ハリーポッターに出てくるようなヨーロッパによくある細長い店です。次に「よいところを教えてもらった」と思ったときは、メニューを見た時です。前日のレストランの料金の半分以下でしたから。

ところが、料理の味もLa Fresqueの半分以下でした。いずれにしても、この日もワインとビールで満腹になったし、息子たちが外で列を作って待っている人たちに気兼ねしていたこともあり、長居せずに会計しました。もちろんカード決済でしたが、面白い経験をしました。決済の最後に英語かフランス語か忘れましたが、「チップは次のどれにしますか?2€、5€、10€」と表示されました。0€とかnonとかもあったかもしれませんが、2€をタップしました。後にも先にもチップを支払ったのはこの時だけでした。かなり忙しそうに働いていた給仕の方は丁寧に礼を言ったので、握手で返しました。

店を出ると外は雨になっていました。やはりこの店に紹介してもらって正解でした。

ホテルに帰る前にまた食料品店に寄って飲み物とつまみを買って戻りました。フロントに、「明朝6時にチェックアウトしたら・・」と話し始めたら「Taxi?」と察してくれました。細かい時刻を訊くので、「6:15」と言いましたら、紙に書いてまで確認をしてくれました。

7. 9月11日 帰路に就く

往路同様、エールフランス直行便は帰路も早朝の出発をするしかありませんでした。CDG空港を9:30発の便です。

2時間前の7時半までにエールフランスにチェックインしようと思えば、6時過ぎには出ようと思っていました。なので、前夜6:15で予約したのです。ホテルのチェックアウトで万が一時間がかかるとすれば、6時にロビーに下りればいいかなと考えましたが、ピッタリでは失礼かと思い6:05頃下りました。すると、フロントに誰もいません。事務所のほうに声をかけると、なんとスタッフは玄関の外にいました。戻ってきたスタッフに「チェックアウトしたいが・・」と言うと、両手を上げるジェスチャーをして「何もない」と言い、外に案内してタクシーの方を指さしました。 

驚きました。まるで日本のようです。約束時間の10分前にはもうタクシーは待っていたのでした。このホテルは質が高いのか、日本人客が多いからなのかは今でも謎です。タクシーに乗り込む前に、私に渡すものがあることを忘れたと言って戻ってくると、白い封筒を渡されました。開けてみると、初日に支払った宿泊税の領収明細書でした。感謝の気持ちを表して握手とともに別れを告げました。

早朝はさすがに道路がすいているので、CDGからパリ市内のホテルに向かうよりも早く移動できました。半分くらいに時間(3,40分)でした。また、車を降りて空港の建物に入ると、すぐ目の前がエールフランスのエリアになっていました。一人ライフルを持った軍人のような人がいて物々しい感じがしました。今回は、最初からベルトを外して無事搭乗手続きを終え、定刻少し過ぎての離陸でした。

帰路も往路同様、午前11時頃になると1回目の食事です。なぜか、日本人とみて「味噌汁はどうか?」と言うのでいただいたが、文字通り「味噌だけを湯に溶いたもの」でした。パスタ(ペンネ)、カマンベール、サラダ、パン、デザートを赤ワインとシャンパンでいただきました。この旅行の間、毎食パンが出たのは当然ですが、どのパンもおいしかったです。日本でも食べることができるのでしょうが、やはり普段主食にしている国のパンは「本物」(混ぜ物がない、添加物がない、噛み応えがある、味わいがある等々)だなと思いました。ワインとパンだけでも満足したかもしれませんね。

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帰路の飛行機は、往路とは反対方向に向かい始めました。すなわち、北に向かわず東に向かいました。アルプス山脈の上空を進み、東ヨーロッパ、黒海へと進みました。黒海といっても、ウクライナやロシアから遠く南岸のあたりを進んでいき、カスピ海、中央アジアの砂漠地帯からモンゴルを抜けると、黄海に出て韓国を横断して日本へと帰ってきました。結局、私たちは北半球を一周する旅をしたことになりました。

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